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七夕の由来、織姫と彦星の伝説と日本の神事と中国の行事が混ざったものです。

七夕
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七夕の由来を調べてみました。

古くは中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、宮中の行事となったといわれています。

令和以前の元号に関しても、中国の『史記』や『書経(偽古文尚書)』が出典となっていることが多いために、中国の文化は日本に多大の影響を与えているものと、今さらながら感心しています。

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七夕の由来

日本の伝統文化だと思っていた七夕は中国から日本に入ってきた文化でした。

  1. 牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の二星会合の伝説
  2. もともとは日本の神事だった棚機津女(たなばたつめ)の伝説
  3. 奈良時代に伝来して宮中行事となった乞巧奠(きこうでん)の行事

が、合わさったものなのです。

 

その由来は、中国の漢の時代にさかのぼります。

牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の二星会合の伝説

織姫と彦星の伝説といったほうが認知されていると思います。

牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)は、漢の時代(前漢紀元前206年 – 8年と後漢25年 – 220年)の書物に初めて登場します。

出典:七夕・七夕節の由来と習慣

このころはまだ恋愛状態になっておらず、ただ登場しているだけです。

その後、南北朝時代(439年~589年)になると、7月7日は牽牛・織女が会合する夜であると明記されています。

 

『万葉集』には牽牛・織女の二星会合を詠んだ歌が数多く収められていますし、正倉院にはこの行事に用いたと推測される針と色糸が現存するそうです。

 

 

棚機津女(たなばたつめ)の伝説

村から選ばれた乙女が水辺の棚に設けた機屋に一夜籠って、神の衣を織ります。神の降臨を迎え、翌朝帰り去る神に穢れ(けがれ)を持ち去ってもらうという信仰です。

 

出典:瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り

 

最近まで「七夕送り」と称して笹飾りを川や海に流す風習が各地で見られたのは、この穢れを祓う(はらう)儀式としての七夕の名残とされています。

 

 

乞巧奠(きこうでん)の行事

中国の前漢(紀元前206年 – 8年)時代、采女(うねめ)が7月7日に針に糸を通すという風習が記載されています。

南北朝時代には、夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれています。

 

 

 

日本に伝わった乞巧奠(きこうでん)の行事

中国の行事が日本に伝わり、日本風にアレンジされていきました。

庭に、むしろを敷き、机を4脚並べて、果物などが供えられ、五色の糸をより合わせた糸を通した金銀の針を7本、楸(ひさぎ)の葉に刺したものが供えられます。

一晩中、香をたき、灯明を捧げて、牽牛と織女が合うことが祈願されます。

最初は瓜、花、酒を並べて織女と牽牛をまつっていましたが、その後、七本の針に魔よけの意味のある五色(青・黄・赤・黒・白)の糸を通して機織りの技術向上を祈るようになり、琴を机の上において芸の上達を願ったそうです。

出典:金沢大学資料館

 

宮中では、

高机を4つ用意して、机にのせる供え物は、
東南と西南の机には、梨・棗(なつめ)・桃・大角豆(ささげ)・大豆・熟瓜・茄子・薄鮑と、酒が一坏ずつおかれます。

西北の机には、香炉、神泉苑の蓮の花十房を盛った朱彩の華盤と、縒り合わせた五色の糸を金銀の七本の針に通して、楸(ひさぎ)の一枚の葉に挿したものがおかれます。

東北の机にも、針を除く西北と同じものが供えられます。
北側東西の机には、秋の調子に調弦した筝(こと)が一張おかれます。

 

牽牛・織女の二星が出会うことを祈り、このように果物や野菜をお供えして香を炊き音楽を楽しみ、たらいに張った水で、夜空を映し、二星の出会いを祈願していたのですね。

堪能が星を眺める椅子も庭に設置していたという記述が残っています。

また、織姫と彦星の出会いを願った和歌も沢山残っています。

江戸時代の七夕行事

江戸時代になると5つの節句が制定され、七夕も節句のひとつになると、庶民の間に広まりだんだんと全国に広まっていきました。

 

5つの節句とは?

  • 1月7日:人日(じんじつ)…七草
  • 3月3日:上巳(じょうみ)…桃
  • 5月5日:端午(たんご)…菖蒲
  • 7月7日:七夕(しちせき)…竹
  • 9月9日:重陽(ちょうよう)…菊

です。

もともと節句は、古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦のことで、陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになりました。

出典:江戸ガイド

初めは五色の糸を飾っていたのですが、五行に基づき、五色の短冊が使われるようになりました。五色は、「青・赤・黄・ 白・黒(紫)」のことを指しています。

この五色を短冊や吹き流しに使用することにより、魔除けの意味を持たせたと言われています。

 

現代の七夕行事は?

現代では織姫と彦星が七夕の夜に出会う事で、願いをかなえます。

一般の私たちは、短冊に願い事を書いて、竹笹に結わえて天に高く掲げることで神様に届くようにするのです。

 

そもそも竹は根が強く生長が早く、竹の節と節の間は空洞になっているのでそこに神霊が宿るとされ、古くから神聖視されていました。

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七夕の由来:まとめ

日本だけの物語と思っていた織姫と彦星の伝説は、台湾・韓国・ベトナムにもあるそうです。

日本の文化は中国から入ってきているものが本当に多いんだと今さらながら感心しています。

子供たちが成人してからは、商店街の七夕にしか縁がないようになっていますが、今度の七夕には七夕飾りを作って、小ぶりの笹に願い事を書いてみようと思います。

 

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